比較的気が楽で平常心を保てるゴールデンウィークに、現在の自分の病気についてオープンしたいと思ってました。昨年8月に数日の休息のつもりで休んだところ、体中のあらゆる箇所に不調がみられ、特に幼少の頃から具合の良くない心臓に痛みが走るなどの症状がひどくホームドクターに問いたところ、「少なくとも一ヶ月は休んだ方がいい」と言われたのが、事の発端でした。神経に効く薬を処方され、主に寝るだけの日々がスタートしたのです。
薬はとても良く効いて、朝、子供を園に送り出して家に戻ってから、再びベッドに戻り深い眠りにつきました。そして夕方迎えに行き、ケアをしてまた寝ます。その繰り返しで、時間が止まったような日々が続きました。
ところが一ヶ月たっても不調がまったく改善しない、二ヶ月三ヶ月と進んでいき、「改善しなくても、そろそろ戻った方がいいかもしれない」と医師と話し合うのですが、不安感がぬぐえず、さらに心臓の精密検査などあらゆる検査をしてみるのですが、まったく問題が無いのです。しかし、心臓の痛みは続き、とても普通に生活することなどできません。
時間ばかりが過ぎていくのをどうにか止めたくて、もう一つの病院にセカンドオピニオンを求めにいきました。そこで伝えられたのが「身体表現性障害」という病名でした。
この病気は、神経精神の動きにより、身体の不調「感」が生み出されるというものらしいのですが、とてもこの痛みを非現実なものとは理解することができませんでした。ただ、その病院から処方された薬を服用し始めると、これまで生まれたからずっと感じ続けてきた極度の不安感などがどんどん取り除かれ、集中力や前向きさがはっきりと浮かんでくるのです。痛みも徐々に減っていったことから、身体表現性障害の存在を理解することができました。
そもそも心臓の不調というのは、幼少の頃から実際に存在していました。脈拍の動きがおかしく、心電図を取ればかならず「不整脈」と診断されていたのです。中学の時は、マラソンのトップグループで競っていたとき、心臓が極端に痛み倒れたことがあり、それ以来、ハードな運動は避けるようにいわれてきました。まさに心臓は、僕のウィークポイントでした。
この歴史と身体表現性障害は少なくとも関係があるのでしょう。ただ、今回、現在までに9ヶ月療養を続けている中で、自分の精神性と身体、双方で何かが変わりつつあります。不安感はまだぬぐえませんが、少なくともくらい影が消え始めている。そう感じます。
今回、大勢の方にご迷惑をおかけしていることが心痛ですが、人生に必要な療養期間がこんな時期に訪れたと理解して、全力で治療、そしてリハビリに当たっています。この病気の難しさは、以下のリンクからもご理解いただけると思います。しかし、不治の病ではなく、けがと同じように直せるものだということを伝えたくて、エントリーにしたという意図をご理解ください。
http://www.tvk.ne.jp/~junkamo/new_page_424.htm









1件のコメント
いつもお世話になっております。
体調が優れず気分の晴れない日々をお過ごしとのこと、お見舞い申しあげます。
難しいことはわかりませんが、Maskin Lynch さまは何事にも意欲的で、常に今の自分に満足せずに、さらに磨きをかけていこうとしていらっしゃるように感じられます。
それは、人としてすばらしい生き方だと尊敬致しますが、人は考える存在である前に、生き物としてのヒトであると思います。それは、言葉を持たない赤ちゃんにも、生理的な欲求を超える多くの欲求(感情)があるのと同じことかもしれません。
大人は、社会という世界秩序の中で生活していくために、なんにでも名前をつけて、なんでも言葉で表現しようとします。それは、それが他人から見られる自分や、自分の中にある自我を理性的に表現して、社会の中に自分の存在をピン留めする方法だからだと思います。
人は、ヒトであるために、時には言葉を忘れ、自分も風に揺れる木々の枝と同じだ生き物であることを知ることも大切なのではないかと感じます。
百年、千年という悠久の時間の中に佇み、流れに抗うこともなく、ただ悠然と自らの命を全うするために生きる。きっとヒトの中にも、そんな力があるのではないでしょうか。
Maskin Lynch さまには、理想を形にする才能と、それを為し得る能力があるがために、何もしない事や自分を甘やかすことは苦手かもしれませんが、何も考えず、何もしない時間にこそ感じられる何かというものを見つけてみて下さい。
生意気なことを書いてしまって、心苦しいのですが、右も左も分からない私に親切にして下さった Maskin Lynch さまを慕ってのこととお許し下さい。
長い Reply になったことを、お詫び致します。
ごめんなさい。
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