ネット上で、植樹に貢献できるサイトといえば、NECが期間限定で行った「エコトノハ(ecotonoha)」(https://www.ecotonoha.com/)が記憶に新しい。これは掲示板への書き込み100件につき、オーストラリアのカンガルー島でのNECの植樹活動に木を1本追加するというもの。時代にあった発想が受け、カンヌ国際コンクールでグランプリ受賞、その後も活動を続け、2007年までに4500本もの木を植えてきた。
「木一本でどれだけの二酸化炭素が吸収できるか」
では、いったいどれだけの木を植えれば、地球温暖化に貢献できるのだろう。ある記述をみると
1人の人が呼吸で吐き出すCO2は年間320キログラムでスギ23本分の年間吸収量
とあるので、エコトノハでいえば、2300件分の書き込みをすればその規模に達することとなる。
ただ、当然、CO2排出は人間の呼吸だけではないので、単純ではない
CO2だけが温暖化の原因だと特定するのだと仮定するならば、私たちが省エネルギーやリユース、そして植樹に努めても、それを圧倒的なスピードで突き放そうとする産業界のCO2排出にはとうてい及ばないだろう。産業界もCO2を押さえる努力をする方向に向かっているが、京都議定書などで掲げられる目標値を見る限り、「2〜3年で半減」というような大胆な削減は不可能とされているのだ。
今後、私たち個人がいくらがんばっても、産業界の排出に対抗することはできず、当面、環境の危機はどんどん進んでいくことになる。
多数の有識者が危機をあおっているが、手の打ちようのない状況に、私たちはなすすべもない。じゃあ、だからといって、今までのようにゴミはポイ捨て、不便なリユース袋やカップなんて使って仕方がない、と割り切ればいいのか。おそらくそうではない。
一度、私たち、日本に生きるものは、高度経済成長が引き起こした暴走行為をやめなくてはならない。大量消費、使い捨て社会のひずみはいろいろなところにでているではないか。使えるコップを洗って再利用する、なんて当然だし、あった人に会釈をしたり挨拶をするのは当たり前のことだろう? 気に入らなかったら、目を背け、何もなかったように振る舞える日本人は、ある種特殊な才能を持っているのかもしれないが、気味が悪くて仕方がない。
そう思うのが自然だったんだ。ゆるい感じがいいのではない、混沌としつつも衝突しあって前に進んでいく、そんな自然な営みが日常にあるほうが、ずっとスマートだということに気づかないといけなかったんだ。
そんなことを考えている中、TwitterでPerl開発者の協力を呼びかける声があった。「グリムス(gremz)|ブログエントリーで苗を育成し植林するエコアクション!ブログパーツ型環境貢献サイト」のことだ。
前述のエコトノハは掲示板の書き込みで植樹がされるが、グリムスはブログの更新活動によって植樹が行われる。参加者にはブログパーツが配布され、実際の活動にイメージを合わせて、仮想の木が育っていく。
「地球温暖化に向けて何かアクションを行わなければならない」といっておきながら、仮想の木とはなんだと、怒る人もでてきそうだが、日常に介在するブログでこういった意思表示をする意義は大きいし、少なくとも南半球のどこかに植樹が行われる。また、パーツを貼り付けたことで、少なからずそれに関連するエントリーも増え、実際それにつながる活動へと広がっていく期待もあるではないか。いうなれば、それが一番大きな効果だといっても過言ではない。
先ほども述べたように植樹そのものが環境の危機にどれほど良い影響を与えるかわからない点が多い。しかしながら、ブログなどをきっかけに個人が意識を変え、それが実際の活動へと引き継がれていくのであれば、いずれは大きなムーヴメントと発展することも十分に考えられる。少なくとも、自然の営みを”古くさい”とさえいった利益至上主義の高度成長世代からの決別を表明することができるのだ。










コメントをどうぞ